先輩医師からのメッセージ
- 若手医師からのメッセージ
- 研修開始後1年間を終えて
- 家庭と仕事の両立
- てんかん専門医になるまで
- 臨床遺伝専門医になるまで
- 血管内治療専門医にむけて
- 脳卒中内科医への誘い
- 大学院生からのメッセージ
- 指導医からのメッセージ
- 留学だより
若手医師からのメッセージ
本間智洋(入局1年目・卒後3年目)
私は新潟市出身で新潟大学を卒業後,新潟市民病院で初期臨床研修を修了し,現在新潟大学病院で後期研修を行っています.
私は学生の頃に,臨床実習や国家試験の勉強をする中で,脳神経内科に興味を持ちました.症状,所見をもとに局在診断を行い,検査を進めていくという鮮やかさが私には魅力的でした.そしてその病態について考察する時間は最も充実した時間であり,脳神経内科という診療科を強く意識するようになりました.初期研修でもNeurologyの勉強に多くの時間を割き,そしてその勢いそのままに令和6年度より新潟大学脳神経内科に入局させていただきました.
新潟市,新潟大学出身の私がこの新潟大学の医局に入局するというのは当然の帰結とも感じますが,学生実習,初期研修を経ての,今後の指針となるような尊敬できる脳神経内科の先生方との出会いは,私の入局を強く後押ししてくれました.
現在は脳神経内科医として働き始めて日が浅く,勉強不足,経験不足で同じレジデントの先輩方や上級医の先生方にフォローしていただきながら仕事に取り組んでいます.日々無知の知を感じ,反省しておりますが,文献などをもとに自分なりの解釈ができた瞬間は至上の喜びです.
脳神経内科は上記のように,非常に学問的に魅力的な診療科です.そして新潟大学脳神経内科はロールモデルとなるような諸先生方も多く,学びの環境にふさわしい医局です.興味のある学生や初期臨床研修医の先生方はぜひ一度見学にいらしてはいかがでしょうか.
2024年8月記載
塩瀬拓人(入局2年目・卒後4年目)
私は埼玉県入間市出身で,福島県立医科大学を卒業後,福島県の会津若松市にある竹田綜合病院にて初期研修を修了し,研修先の内科専門医コースを選択し,ご縁があり新潟大学病院で後期研修を行なっています.
私は学生の頃にはバスケットボール部に所属しており,先輩達と同じ道である外科系の科に入局するのだろうと漠然と考えていました.しかしせっかく医師になったのなら,しっかりと「患者を診る」ことのできる医師になりたいと思っていました.初期研修が始まり最初に履修した科が脳神経内科でした.とかく神経領域の扱う疾患の種類,患者様の訴えの広さ,そして未知の領域にぶつかっていくことにすばらしさを感じました.そして,検査所見だけではなく,病歴,身体所見を重んじ,患者様と二人三脚で診断・治療を進めていくことが「患者を診る」という当初の自分の目的にマッチすると思い,神経内科を選択しました.
選択した当初は治すことのできない疾患や,診断することのできない症状にぶつかることがあり,この科を選択したことを後悔したこともありました.自分の勉強不足,経験不足を日々自覚する日々です.しかしさまざまな文献や,先輩医師とのカンファランスを通して勉強していくことで少しずつ患者さんの状態を理解でき,今後の方針を立てその後の人生に貢献できたと感じるときに喜びを感じることができました.
新潟大学脳神経内科は,サポートしてくださる先輩医師や,医療スタッフの皆様がいて,学びの環境としては最適な場所だと思います.興味のある方はぜひ一度見学にいらしてください.
2024年10月記載
油谷頌子(入局1年目・卒後3年目)
私は隣県の大学を卒業し,上越総合病院での研修を経て脳神経内科に入局いたしました.
研修医2年次に短期研修に来た際に,アカデミックでありながらもあたたかい雰囲気に惹かれたことが入局の決め手になりました.出身県の大学に進んだため,そのまま地元に残ることを当初は漠然と考えていたのですが,「少しだけ違う環境に踏み出してみたい」と選んだ初期研修をきっかけに,こうして今も新潟にいることを思うと,不思議な縁を感じます.
脳神経内科には学生時代から興味を持っていました.自らの手で所見を集め,それらを手がかりとして診断を絞り込んでいく過程は,幼い頃に憧れたシャーロック・ホームズの推理術のようで純粋な魅力を感じました.やみくもに検査や手技を行うのではなく,病巣にあたりをつけてそれを確かめるというスタイルは非常に洗練されたものだと思います.
脳神経内科医となってまだ数か月で,毎日が新しい発見の連続です.診療の内容も,脳卒中やけいれんなどの救急疾患から,慢性疾患の終末期管理,神経疾患を有する患者様のマイナートラブルまで多岐に渡ります.自分の未熟さをもどかしく思うことも多々ありますが,初歩的なヘルプにも快く応じてくださる上級医の先生方のお力添えで日々仕事に取り組むことができています.道のりはまだまだ遠いですが,一人前の医師を目指し精進して参ります.
新潟大学脳神経内科は教育体制や設備が非常に恵まれており,門戸も広い医局です.脳神経領域に興味がある学生さんや研修医の先生はもちろん,進路を決めきれていないという方も,ぜひ一度当科の見学にいらしてくだされば嬉しいです.
(写真右)
2023年4月記載
畠山祐樹(入局1年目・卒後3年目)
新潟大学脳神経内科を選ぶにあたって
私は後期研修を行うにあたり,どの診療科に進むかということすら決められずギリギリまで悩んでいました.そんな時脳神経領域には元々関心があったため,ふと思い立ち母校である新潟大学の脳神経内科を見学することにしました.実際に見学すると当時大学病院で働いている人こそ違いますが学生時代に見た,教授を中心として医師一人一人が豊富な知識と十分な臨床経験をもって患者一人一人を丁寧に診ていく様子は全く変わっていませんでした.また研究施設を見学するにあたっても充実した設備であることは言わずもがな,豊富な資料や経験豊かな先輩研究者の方々いるおかげで研究の道に進んだとしても何も困ることはないだろうと感じました.
そんなことを思いながら見学を終えた頃には,この新潟大学の脳神経内科ならば自分の医師としての能力を高め可能性を広げることができると直感し,脳神経内科の道に進むことに決めました.
入局してまだ日は浅く,たまに自分の他の可能性について考えてしまうこともありますが,それでもここ新潟大学の脳神経内科を選んで本当によかったと思っています.
進路に悩んでいる研修医や学生さんがいたらぜひ新潟大学 脳神経内科を見学しにきてください.きっとこれから進むべき道が見えてくると思います.
2022年4月記載
木下悠紀子(入局3年目・卒後5年目)
「らしくない」私が脳神経内科を選んだわけ
新潟大学卒業後,長岡赤十字病院で研修を行い,脳神経内科に入局しました.
今この文章を読んでくださっている方にとって,「脳神経内科医」はどんなイメージでしょうか.学生の頃の私にとっては「脳神経内科医」というのは「とにかく勉強が好きで,賢くて,寡黙なイメージ」があり,「恐れ多い」存在であったように思います.以前から脳神経内科に興味はあったものの,「おしゃべり好き」で「人と関わるのが好き」な私は仲間からは「脳神経内科医らしくない」と言われることが多くありました.
そんな私が脳神経内科を選んだのは2つ理由があります.
1つ目は患者さんととことん付き合うことができるからです.難治性,進行性の疾患に罹患している患者さんも多く,治療を長く続け,疾患と付き合っていく必要があります.ライフステージによって刻々と変わる患者さんの症状や生活状況,そしてそれぞれの患者さんが「どうやって自分らしく生きていくか」というご希望をしっかり聞きながら治療方法を検討していくことにとてもやりがいを感じています.
2つ目は魅力あふれる脳神経内科医の先生方に出会ったからです.生身の患者さんを丁寧に徹底的に診察し,幅広い教養と知識で大事な情報を引き出す指導医をみて強いあこがれを感じました.患者さんをパッと見ただけで脳梗塞の麻痺側を見極める方法を教えてくれた先生や,診察室に「誰と,どうやって来たのか」という所から診察は始まると教えてくれた先生,患者さんの病歴だけでなく生活状況や今までの人生,性格もお聞きする事で病態を突き止めた先生もいらっしゃいました.患者さんとの対話が重要であるからか,お話好きな先生も多いですし,会話の引き出しが多く多趣味な先生も多いです.この2つを通して「おしゃべり好き」で「人と関わるのが好き」という自分の個性が脳神経内科医になるには強みとなると感じました.
「らしくない」と言われていた私ですが,脳神経内科医となり多くの患者さん,指導医,同期,後輩と出会い,この分野の奥深さと楽しさに取りつかれています.
専門科の選択はどの科も魅力的で迷ってしまうと思います.私のように「らしくない」と感じていた個性も飛び込んでみると大きな強みになるかもしれません.どうしても一歩踏み出せない初期研修医,医学生のみなさん,ぜひ一度見学にいらしてください.
2022年4月記載
研修開始後1年間を終えて
遠山玄理(入局2年目・卒後4年目)
私は新潟大学卒業後,同院で研修を行い,脳神経内科に入局しました.
学生時の基礎研究実習で筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病態に関する研究を行ったことが神経学,ひいては脳神経内科に興味を持ったきっかけでした.
昨年度は大学病院に勤務し,指導医の先生方の下で5人のALS患者さんの診断,病名告知を行いました.「難病の告知をするのはつらい」,「治らない病気を診つづけることは苦しいのではないか」という声を聞くことがありますが,実際にやってみるとそれは違いました.確かにALSの告知をする際には心が痛みますが,それよりも患者さんが残りの人生を悔いのないように生きてほしいという気持ちが強いです.告知をすると冷静に受け止める方,泣いてしまう方などいらっしゃいましたが,それぞれの受け止め方から自分が人として学ぶことが多くありました.
もし自分がALSと告知されたらどうかと何度も考えてみましたが,その後の人生を歩む上で主治医との信頼関係は非常に重要だと思います.診断した後も患者さんの人生は続くので,そこに寄り添って共に歩むことが,治らない病気を診つづける上でのやりがい(というより使命でしょうか)ではないかと考えています.大学病院では外来業務がなく,実際に診断後の患者さんの生活に寄り添うことはできなかったので,これは今後の自分の課題です.ALSについて長くお話ししましたが,神経変性疾患だけでなく様々な疾患の方に出会い,学ぶことができました.指導医の先生方も親身に指導してくださり,まだまだ未熟ではありますが成長できた1年だったと思います.
脳神経領域には慢性期疾患だけでなく,脳血管疾患のような急性期治療が重要な疾患もあります.他にもリハビリや基礎研究・臨床研究など多様に活躍できる場があり,どの領域でも患者さんのために一丸となって取り組んでいます.ぜひ一度見学にいらしてください.
2022年4月記載
種田朝音(入局2年目・卒後4年目)
新潟大学卒業後,同院で初期研修を行い,2020年4月に脳神経内科に入局しました.
初期研修で経験した診療科は全て楽しく,専攻科を決めるにあたり非常に悩みましたが,ある先生の「脳神経内科は病気を通して患者さんの人生を診る科」という言葉が決め手になりました.神経内科領域には,例えば歩くこと,話すこと,食べることなど,機能が失われる疾患が多くありますが,患者さんが人生で何を大切にしてきたかという価値観に触れ,病気になったあとの人生を良いものにするお手伝いができたら,それは一生を通してやる価値のあるお仕事だと思いました.今はまだ知識不足を痛感する毎日ですが,日々の診療や勉学に励み,早く力を付けたいと思っています.
新潟大学の脳神経内科はとても教育的です.先輩レジデントからはチームの壁を超えて指導を受けることができ,指導医の先生も非常によく面倒を見てくださります.科全体で若手を育てようという雰囲気を感じます.指導を受けるだけではなく,レジデントとして初期研修医や学生を指導したり,レジデント勉強会のプレゼンターを担当するなど,人に教えるチャンスも多く与えられます.勉強するには素晴らしい環境だと思います.
進路に迷っている初期研修医,医学生の皆さんが,少しでも新潟大学の脳神経内科に興味を持ってくださったら嬉しいです.ぜひ一度,研修,見学にいらしてください.
2021年4月記載
渡邉緑(入局2年目・卒後4年目)
私は新潟県出身で,県外大学を卒業後に地元に戻って新潟大学で研修を経たのち,脳神経内科に入局しました.
脳神経内科というと,「治らない病気を診る」「神経分野って複雑で難しい」という声が多いのではないでしょうか.私も研修前はそのように思っていました.
実際に研修を始めると,確かに難しい分野ではありますが,その患者さんにとって一番大事なことは何か,どう病気と向き合い,その中でどうやって生活してくのが,その方にとってより良いのか,ということを一生懸命考える科だと知り,とても心打たれました.
治療法のない疾患があることは確かですが,現在も新しい治療法が模索されており,今後開けてくる分野でもあると思います.新潟大学は脳研究所もあり,そういった研究にも今後かかわっていけたらと思っています.
脳神経内科に入局して1年たちましたが,いまだに自分の知識不足に反省する毎日です.しかし,そんな私でも先生方は教育的,かつ優しく指導してくださり,本当に素晴らしい環境で勉強させていただいています.
もし少しでも神経内科に興味をお持ちであれば,一度見学に来ていただけると雰囲気をより感じることができると思いますので,ぜひお待ちしております.
2021年4月記載
池上いちこ(入局2年目・卒後4年目)
私は他県の大学を卒業し,同県での初期研修を終え,その後新潟大学の脳神経内科に入局しました.新潟には縁もゆかりもなく,ましてや知識も技量もなく不安だらけの日々でしたが,教育的な先生方のご指導のもと,素晴らしい同期とともに1年を終えることができました.
血管障害,感染症,自己免疫疾患,変性疾患など,急性期から慢性期まで幅広く経験できるのが脳神経内科の魅力の1つだと思います.解明されていない部分も多く,研究への取り組みもさかんです.また,他の先生方が書かれているように患者さんとの距離が近いのも当科ならではと思います.
1年を終え,上記の魅力に加えて,病態や治療方針を科内で共有し検討すること,そのために情報を集め,客観的に伝えることの重要性に気づかされました.疾患の特性上,血液検査や画像のみでの評価は難しく,治療のメルクマールをどうするか,また,どのような治療が推奨されているのか等を調べ検討する時間が多かったです.プレゼン力も鍛えられます.
大学では週に2回検討会が行われますが,4月から移動になった病院でも定期的な検討会が催されます.若手の学びの場となっているのはもちろん,よりよい医療が患者さんに提供できるようにという科全体としての気概を感じます.
あくまで主観ですが,脳神経内科は未解明の部分が多く,業務内容も多岐に渡るため,様々な能力を生かすことのできる門戸の広い科と思います.興味のある方はもちろん,選択肢のひとつとして考えていただいている方,はたまた科を決めかねている方,ぜひ一度見学にいらしてください.お待ちしております.
2020年4月記載
家庭と仕事の両立
木崎利哉(入局3年目・卒後5年目)
現在卒業後5年目, 入局3年目の木崎利哉と申します. 私は2019年10月に結婚し, 2021年11月に長女を授かりました. この原稿を書いている時点では娘は5か月で, 妻は育休中です. 家庭と仕事の両立, というテーマですが, 5年目の医師が子供とどのように過ごしているのか, 普段の様子を書いてみようと思います. 少しでも参考になる部分があれば幸いです.
平日は, 朝時間があればおむつを替えた後に出勤します. 日中は妻が子供をみてくれています. 仕事が終わり帰宅するのは大体19時~20時で, その頃にはすでに娘は眠っていることが多いです. 妻からその日の娘の様子を聞いたり, 写真を見せてもらったりしています.
休日は, 当番の日でなければ, 買い物に行ったり散歩したりと家族で出かけることが多いです. お風呂や寝かしつけも平日にできない分, 休日を利用してやっています. どうしても妻より顔を合わせる時間が短いため, 泣かれてしまうことが多かったのですが, 最近は慣れてきたのか笑ってくれることが増えました. 当番の時は病院でたまった仕事を片付け, なるべく家には仕事を持って帰らないようにしています.
育児は仕事とは全く異なる経験で, 夫婦で楽しくやっています. 産まれる前は, 仕事とうまく両立できるのか漠然とした不安がありましたが, 産まれた後は意外となんとかなるものだな, と実感しています. 妻に頼っている部分が大きいので, 感謝しています.
家庭のあり方は様々で, 仕事との両立の仕方も人それぞれだと思います. 家庭との両立で迷っている方もそうでない方も, 是非一度見学にいらしてください.
2022年4月記載
小出伸(入局3年目・卒後5年目)
卒後5年目の小出伸です.
私は高校生の時に脳科学者に憧れ,漠然と神経に関わる仕事がしたいと思っていました.医学部入学後に神経疾患にはまだ治せないものも多くあることを知り,神経内科領域で研究に携わって,少しでも医学に貢献したいと考えるようになりました.
縁あって学生時代に新潟大学脳研究所の夏季セミナーに参加した際,お会いした先生方が,当然のこととして臨床と研究を「一体の医師の仕事」とみなしていたことに感銘を受け,入局を決めました.その後新潟大学医歯学総合病院で初期研修を終え,現在は新潟大学脳研究所脳神経内科のレジデントとして働いています.
家庭のことをお話ししますと,我が家は夫婦ともに神経内科医で,3歳の娘がいます.医師として頑張りたいという反面,子供のいる家庭にも憧れ,妊娠・出産のタイミングなど悩むこともありましたが,母校の神経内科の恩師から頂いた,「いつ産んでもどうにでもなるから好きにやって大丈夫」とのお言葉を思い出し,本当に好き勝手にさせていただきました.初期研修中に娘を授かり,出産・育児のため研修の同期と比べると1年半ほど遅れてしまいましたが,私にとってはかけがえのない人生のキャリアになりました.娘からは日々多くのことを学ばせてもらっています.
神経内科には育児をしながら働いている先生も多くいらっしゃるので,いろいろな先生から気さくにアドバイスを頂くことができ,非常に心強く思っています.また医局からも細やかなご配慮を頂いて,配属先・業務量など調整して頂きながら無理なく働くことができ,今のところ「どうにかなった」ことにとても感謝しています.
もし家庭と仕事のことで悩んでいる方がいれば,私も恩師の言葉どおり「どうにでもなるから大丈夫」との言葉を贈りたいです.理想の働き方はその人それぞれですが,新潟大学脳研究所脳神経内科はどんな働き方も本当に温かくサポートしてくれる環境だと思います.ご興味をもった方はぜひ一度見学にいらしてください.新潟でお待ちしております.
2022年4月記載
てんかん専門医になるまで
齋藤奈つみ(西新潟中央病院・卒後11年目)
皆さん,初めまして.入局9年目の齋藤と申します.この度,2024年後の試験を経て無事てんかん専門医となりました.新潟県内の脳神経内科医では初のてんかん専門医ということで,大変光栄であると同時に身が引き締まる思いです.ここに至るまでの経緯を簡単にご紹介させていただき,少しでも皆さんの参考になればと思います.
まず,私は北海道出身,学生時代は富山にいて,医師になってからは新潟で過ごしています.長岡中央綜合病院での初期研修を経て,脳神経内科への入局を決意しました.その後は大学病院や県内の市中病院で研鑽を積ませていただきました.その中で,この先何をサブスペシャルティにしていくか悩んだ時期がありました.周囲の多くは大学院に進み,それぞれテーマを持って研究に打ち込んでいく一方,私には特別興味の深い分野がなく,ただ漠然と臨床を主体として仕事や家庭との両立ができるといい,と考えていました.この時期,体調を崩し,一定期間お休みをいただいたこともありました.ゆったりとした時間の中で,自分を見つめ直し,自分に合った生き方を自分なりに考えようと気持ちが少しずつ切り替わり,妊娠を契機にてんかん専門医を目指すことに決めました.
てんかん専門医を選んだのには,いくつか理由があります.一つは,臨床をベースにしながら専門性を高められること.もう一つは,てんかんがcommon diseaseであり若年〜高齢者まで幅広い世代と関われること.それから,全国的に女性の先輩医師も多く活躍されており家庭との両立ができそうな点でした.てんかん専門医試験の受験資格を得るためには,認定研修施設で3年以上の研修が必要です.新潟県内では唯一の認定施設が西新潟中央病院ということで,2021年4月に就任させていただきました.まずは,日本てんかん学会の会員になる(これ重要!てんかん学会正会員の推薦が必要!自分の意思のみでは入れない!!)ことから始め,てんかん科の外来を見学→実践,てんかん検討会に出席し,毎日のように脳波を判読する日々が始まりました.初めは,長時間ビデオ脳波を1日分こなすのにも膨大な時間がかかり,画面の前で気が遠くなることもありました.それでもなんとかしがみついて,検討会で飛び交う宇宙語(に聞こえた)内容の把握に努め,過去問で試験対策をし,試験直前の3ヶ月間は,同僚で同期の太田智慶 先生(脳外科)と週一で勉強会をして乗り切りました.共に合格できてホッとしています.
振り返ると研修開始当初,我が家の双子はまだ1歳半,家庭内は日々大忙しでした.朝保育園の準備に追われ,やっと行ったと思ったら一人が発熱で呼び出される.慌てて小児科に連れて行って,もう一人を迎えに行って,夕食,風呂,歯磨き.風邪引きの夜は不機嫌で甘えが強くなり,夜中に覚醒する.週末は,上靴や昼寝布団を洗濯して,1週間分の買い物,合間合間に「抱っこー」「これやってー」「パパはやだー」とせがまれ,一向に家事が進まない.週末なのに,ほとんど自分の時間がない・・.私は,夫の理解や両親の育児支援があり,なんとかここまでやってこられましたが,振り返ると本当に自分の時間が足りなくて大変だったな,と思います.そんな子供達も,もう5歳.少し大人びてきた横顔を見ながら,自分自身もまだまだ成長したいと思う今日この頃です.
2024年8月記載
臨床遺伝専門医になるまで
安藤昭一朗(入局9年目・卒後11年目)
入局9年目の安藤と申します.私は,初期臨床研修医になりたての頃より,どの科へ進むにしても,臨床遺伝専門医になり,臨床遺伝学に関わる仕事に携わりたいと,おぼろげに考えていました.そして,研修医2年目の夏に,脳神経内科へ進むことを決め,どこで学ばせていただくか迷っているときに,当科の先輩医師より,「脳神経をしっかりと学んだ上で,臨床遺伝専門医を目指すといい,当科には,それをしっかり実現できるだけの臨床・教育・研究体制が整っているよ」と言っていただき,入局を決めました.
そして,脳神経内科専門医となったとき,すぐに臨床遺伝専門医となるための研修を受けられるよう,小野寺理 教授をはじめ,医局として取り計らっていただきました.本専門医となるためには,5症例の症状詳記・20症例の症例サマリーを作成し,その後,筆記試験と面接試験を受ける必要があります.研修中は,多くの患者さんに学ばせていただき,また,本学医歯学総合病院遺伝医療センターのスタッフの方々の大変なご支援もあり,2023年に臨床遺伝専門医資格を取得いたしました.試験準備中は,3歳の長女と1歳の次女・三女(双子です)からひっきりなしくる,遊びたい・おんぶ抱っこのおねだりに応えつつ勉強したのも,今はいい思い出です.
当科の魅力は,自分がしたい,こうなりたいという思いを大事にしてくれて,そのためには協力を惜しまないところだと思います.臨床・教育・研究のどの分野でも,当科内だけにとどまらず,積極的に他施設と連携を取って,どんどん世界を広げることができます.まさに,入局前に,当科の先輩医師が仰っていた通りでした.また,まだやりたいことが明確にない場合でも,自分が頑張れる種(テーマ)が当科にはたくさんあります.是非,皆さんも,当科の魅力を体感していただき,自分だけの花を咲かせてみませんか.
2024年8月記載
血管内治療専門医にむけて
荻根沢真也(入局4年目・卒後6年目)
現在卒業後6年目(入局4年目)の荻根沢真也と申します.入局後は大学病院,長岡赤十字病院,新発田病院とローテートし,現在信楽園病院で勤務しております.わずか4年の経験ですが,多くの疾患について学ぶ機会がありました.その中でも,最も診療する機会が多く,入院治療に自らが携わることが多い疾患が脳卒中でした.日中,夜間,問わず患者さんが救急室に来院され,本当にCommon diseaseである,ということを実感しました.
その診療にあたる中で,病型の診断や抗血栓薬の治療方針,血圧管理など,内科管理どれをとっても患者さんの転帰に影響しうることを,日々の診療を通じて学びました.
さらに,脳血管内治療でdynamicに患者さんの状態が変化するのを幾度も経験しました.失語,高度麻痺で搬送された患者さんが,後遺症なくすたすたと歩いて帰られるさまを見て,感動しましたし,そのような治療に関わりたいと感じるようになりました.
このように,脳卒中診療は知識と技術が共に必要な分野として,非常に魅力的だと考えています.また,Commonだからこそ,脳神経内科医が初療にあたることが多い疾患だからこそ,しっかり診療できるようになりたい,とも考えています.
今は脳外科の先生方にご指導頂き,脳血管内治療専門医取得に向けて勉強をしているさなかです.まだまだ半人前ですらなく,道のりは長いことを自覚しておりますが,同時にやりがいは十分,と思います.
(写真左)
2022年4月記載
滑川将気(入局3年目・卒後5年目)
脳神経内科は現在でも治療法のない疾患が多くあります.先達のお陰で疾患の原因,治療標的など研究が進み,今はそれらの治療を実際に行うフェーズに入っています.昔では治らないと考えられていた疾患が治る時代が来ています.今現場に立っている方,これから脳神経内科を志す方はその変化を目の当たりにすることができる1番面白い時代に生きていると思います.そんなことを思って脳神経内科を志ざし,元々新潟にゆかりはないですが,メッカとも言われる新潟の脳神経内科に入局しました.
私は脳神経内科の中でもcommonである脳卒中をまずはしっかりと診ることができるようになりたいと思い,入局1年目に医局の配慮で脳神経内科医も超急性期脳梗塞の血管内治療に携わっている立川綜合病院に派遣されました.初めて血管内治療を見た時にはその劇的な効果に感動し,自分も将来は血管内治療専門医を取りたいと思うようになりました.内科医でありながらも,1年目で沢山の脳血管造影検査,血管内治療を経験させてもらえたことは私の財産になっています.
また,血管障害以外にも変性疾患や免疫疾患,感染症など脳神経内科の領域は幅広いです.新潟には様々な領域のスペシャリストがおり,その指導を受けることが出来るのも魅力の一つだと思います.入局者数も多いため同期にも恵まれ,労働環境も良く,日々新潟の脳神経内科に入局して良かったと思っています.興味のある方は是非見学に来て下さい.
2020年10月記載
大原浩司(後期研修を経て入局・卒後7年目)
現在医師7年目の大原浩司と申します。今回学生・研修医の先生にむけてメッセージを書く機会をいただきました.特に脳神経内科に興味のある方・脳卒中診療に興味のある方にむけて書いてみようと思います.
まず簡単ではありますが自己紹介させていただきます.
平成26年に埼玉医科大学を卒業し地元である新潟県に帰ってきました.新潟市民病院で初期研修医を修了後,同病院の脳神経内科後期研修医を得て,現在は信楽園病院に勤務しております.
個人的な見解ですが新専門医制度となり,それぞれの科のスペシャリティーは当たり前となり,さらにサブスペシャリティーが求められる時代が来ているように思えます.
脳神経内科の特徴は慢性期から急性期と病態が多彩で守備範囲が広いことです.小生はその中でも脳卒中に興味を持ち内科管理はもちろん超急性期治療である脳血管内治療に魅力を感じました.
脳梗塞の急性期治療は近年目覚ましい進歩を遂げ,デバイスも各社しのぎを削り新しい製品が開発されています.脳卒中は脳神経内科にとってcommon diseaseであり大変やりがいのある仕事です.
現在信楽園病院では脳神経内科・脳神経外科が垣根を越えて急性期の脳卒中診療を行っています.脳卒中の内科管理・血管内治療に興味がある方は,一緒に脳卒中診療をしませんか.ぜひ一緒に内科医から血管内治療専門医を目指しましょう.やる気のある先生・少しでも興味のある先生お待ちしております.
2020年10月記載
脳卒中内科医への誘い
新保淳輔(新潟市民病院・脳卒中科副部長)
私は幅広い脳神経内科領域の中でも,急性期脳卒中診療,脳血管内治療をメインに取り組んでいます.脳卒中診療はこの20年ほどで大きな変貌を遂げましたが,転換点はtPA静注療法と経皮的脳血栓回収術が標準治療に位置付けられたことで,いまや脳神経内科医も血管内治療に参加する時代となりました.
脳卒中診療での脳神経内科医の役割は,超急性期の治療選択,急性期の全身管理、エコーやMRIなどによる病態解明と治療薬選択,心血管リスクの管理,神経症候の評価とリハビリテーションなどで内科的知識を駆使し,脳神経外科と連携してバランスのとれた医療を提供することだと思います.さらに意欲があれば、超音波検査手技を身につけたり,脳血管内治療専門医の取得にもチャレンジできます.学術面については,アカデミックな研究は大学ですが,市中病院では症例の多さを持ち味にした臨床研究から,1例を深く掘り下げる症例報告まで,着眼点とやる気次第で,日常診療からさらに踏み込んだ仕事ができます.
私自身の話になりますが,新潟大学の脳神経内科の門を叩いたのが1999年,当時は遺伝性脊髄小脳変性症の原因遺伝子が次々と解明され,その最先端を新潟大学が走っていて,そういった仕事も将来できたら面白そうかなと漠然と考えていました.実際に入局してみると,赴任先のひとつがMELT-Japan(脳主幹動脈閉塞に対するウロキナーゼ動注療法の多施設共同試験)に参加していた病院だったことや,入院担当患者さんの約6割が脳血管障害ということもあり,脳卒中診療に関心を持つようになりました.その後大学病院に戻り,指導医の勧めで脳血管撮影室に出入りするようになり,脳血管内治療の道に入ったのが2005年のことでした.当時,脳梗塞に対する脳血管内治療は未熟な分野でしたが,tPA静注療法の限界が明らかとなっていたので,将来性のある治療と信じて取り組み続け,現在に至っています.
脳神経内科は脳卒中以外にも変性疾患,免疫疾患,感染症,頭痛,てんかんなど対象分野が多く,臨床も研究も選択肢がたくさんあります.歴史があり指導医の層も厚い新潟の脳神経内科だからこそ,多くの進路の中から自分の道を見つけだして進んでいくことができます.私自身、20年前の自分には想像もつかなかった道を今も歩み続けていますし,力をつけた若い先生たちがその道をさらに広げてくれています.興味のあるかたはぜひ私たちと一緒にチャレンジしてみませんか.お待ちしています.
2020年10月記載
大学院生からのメッセージ
中島章博(卒後8年目)
コロナ禍と同時に始まった私の大学院生活も3年目となりました.コロナ禍では, 各種学会がオンラインでの開催に変わりました.
実際に現地でしか感じられない高揚感や, その場でのDiscussionは無くなってしまったのですが,オンラインであることでかえって多くの学会に参加することができ,視聴できる内容も増えて,学べることも増えたのではないかと感じています.
さて, 実際の大学院生活というと,最初に5ヶ月間は,新潟大学脳研究所の神経病理学教室で学ぶ機会を頂きました.実際に病理側としてCPCカンファレンスに参加することで,神経疾患の奥深さを知ることができ,大変貴重な経験をさせて頂いたと感じています.
その後は, 神経病理学教室で学んだことを基礎として, 神経免疫チームにて免疫病理学の研究に励んでおります.神経免疫疾患は幅広く,様々なテーマ・視点を持つことができます.大学院入学後は,日本神経学会,神経免疫学会,神経病理学会の他,オンラインではありますが海外の学会での発表の機会も頂き, 大変刺激になりました.それらを通して, 疾患をより俯瞰的に見ること, 先行研究を理解し,今後の課題をみつけていくことの重要さを痛感しております.
漠然とした思いで始まった大学院生活ですが,新潟大学脳研究所が誇る貴重な病理標本や臨床録の解析に携わることができ, 今後の医療の発展のために使命感や責任を感じるほどです. 学会参加・発表の機会も恵まれている環境でもあります.
一緒に神経学を学ぶ仲間をお待ちしております.
2022年4月記載
山岸拓磨(卒後8年目)
大学院生となり,早くも4年目を迎えました.
新型コロナウイルス感染症の拡大によって,長らくオンラインが主体となっていた各種学会も,少しずつ現地開催が再開しつつあります.私も先日,現地での学会参加の機会を頂き,取り組んできた研究に関して,発表をして参りました.
私は現在,脳研究所の分子神経疾患資源解析学分野でALS(筋萎縮性側索硬化症)と呼ばれる神経難病の病態解明や治療に向けた研究に取り組んでいます.難しい名前の分野ですが,疾患脳を分子生物学の観点から分析し,病態に迫ることを目的とする分野です.ご存じの方も居られるかと思いますが,ALSは,運動神経が障害されるために,手足を動かしたり,話したり,食べたり飲んだりすることや,普段は意識しない呼吸をすることさえもだんだんと難しくなっていく病気です.今はいくつかの進行を和らげる薬が使用されていますが,それでも根本的な治療薬はまだありません.
脳神経内科が専門とする疾患には,上に挙げたALSの他にも,根本的な治療がまだ叶わない病気が多いです.どれもこれまで普通と思ってできていたことが難しくなる性質の病気です.私たちはこうした病気の克服を目指しています.
研究に携わるようになり,私たちの仕事は,先人たちが積み重ねた知見をもとに,このような病気を抱える方の診療や疾患に関する研究に取り組み,得られた知見を新たに積み重ね,還元していくことなのだと身にしみて感じています.この先にALSなどの病気が治る未来があると信じています.
こうした仕事への貢献の仕方は研究だけではありません.疾患脳の分析を例にとると,診療にあたる先生が記録する症状・経過といった臨床プロファイルや神経病理の先生が担当する病理学的検索の知見は欠かせません.また,診療にあたった先生への信頼があったからこそ,病気を抱えた患者さんやそのご家族がそれぞれの思いをもとに身体の一部を提供くださるのだと思います.どれも脳神経内科を出発として携わることのできるキャリアです.脳神経内科は,研究だけでなく,臨床でも多くの専門分野があり,きっと活躍の場が見つかります.私自身,多くの先生方の指導・サポートを受けながらの立場ではありますが,微力でも貢献できればと思い,取り組んでいます.
一緒に神経疾患の克服を目指す仲間をお待ちしています.
2022年4月記載
指導医からのメッセージ
坪口晋太朗(2019年4月-現在 3代目ホームページ係)
患者さんと向き合い,学問をする,とは何か?
脳神経内科には,治せない病気がまだたくさんあります.そして脳神経内科では,病気のみならず,患者さんを,社会的背景や環境を含めて総合的にみることができます.患者さんのこれからを,患者さん,家族,地域方々,多職種のみんな,で一緒に考え,話し合い,患者さんと一緒に歩んでいく,これが真に患者さんと向き合う,ことです.
治せない病気と対峙し,患者さんと向き合うには,研究も重要です.基礎研究も,臨床研究も,脳研究所と当教室には,設備・資源・遂行する体制,が十分整っています.脳神経内科において研究とは,「生命現象を探求することで,病態を解明する」ことだと思います.生命現象の探求には,現象と病態の本質とは何かを追求することが重要です.
本質を追及することは容易ではありません.研究ではしばしば難しい場面に直面します.しかしその本質を追求し続ける姿勢が,「学問をする」ということだと思います.当教室には,「学問をする」,という,当たり前でありながら,なかなか成し得ないことを,手助けできる伝統と熱意があります.「学問をする」のは,患者さんのためであり,患者さんのためだからこそ,私たちは頑張れます.
新潟で,患者さんと向き合い,一緒に学問をし,本質を追求する仲間を,お待ちしています.
2024年8月記載
石黒敬信(R5年度病棟長)
未来の後輩へ
卒業して早14年,気が付けば指導医と呼ばれる立場になりました.
これから当科を志してくれる後輩の皆さんへ,どうか大切にして欲しいことがあります.
それは,出会う患者さんひとりひとりを大切にすること,しっかりと向き合うことです.
これが当たり前で簡単なようで,実は本当に難しい.
心に余裕がないとき,現場に出て少し慣れてきたとき,ついつい疎かになってしまう.
でも,これを目標とできるならば是非,脳神経内科を志してください.
選んだことに後悔はしないと思います.
必ず,皆さんにとってやりがいのある生き方が見つかると思います.
何をしていいか分からないとき,まずは出会う患者さんにしっかりと向き合ってみる.
そして何ができるかを考える.
そこに,未来の自分の課題が見つかるかもしれません.
2023年7月記載
金澤雅人(SAJ1級)
私は20年ほど前,外来・病棟で患者さんと真摯に向き合う神経内科の先生をみて,患者さんからもいろいろ教わり,こういう医者になりたい,神経疾患を克服したいと思い,脳神経内科にすすみました.脳神経内科を専門に選んで本当に良かったです.
理由
- 進歩の過程にあり,それを自分たちが担える
- 患者さんのニーズがとても高い
- 患者さんのそばで診察というシンプルな作業で,病気に迫れる
神経診察は苦手,病気についても取っ付きにくいイメージあるかもしれません.しかし,疾患によって,検査は必要なく,ぱっと見て,診断可能な病気があるぐらいです.疾患・病態の理解に関して,自分たちが時間をかけて理解したことを半分以下の労力でわかってもらえるように指導していくのが,先輩の私たちの役目です.これまでの伝統もあり,当科の先輩たちはそういう人たちの集まりです.
やる気と興味がある人,いつでも一緒に学んでいきましょう.
2019年10月記載
留学だより
小池佑佳
留学だより~Mayo Clinic Florida 2020~
2020年6月に渡米し,Mayo Clinic FloridaのLeonard Petrucelli教授の下で学び始めて,半年が経過しました.今後海外留学を選択肢の一つに考えておられる先生方にとって,少しでも参考になればと思い,留学便りを書かせて頂きます.
私の所属するNeuroscience部門は,当科の今野卓哉先生がご留学されたNeurology部門と同じ敷地内にあります.Petrucelli教授のグループは,筋萎縮性側索硬化症やポリグルタミン病を中心に,神経変性疾患の病態研究に取り組んでいます.ポスドクやsupervisorの約8割が他国出身者という非常に国際色豊かなラボであり,さらにポスドクのバックグラウンドとなる分野も多彩です.当初,他国からの留学生達との語学力の差を前に,高い言葉の壁を感じた私ですが,以前,医局のある先輩の先生に言われた「英語はあくまでツールの一つ」という言葉を思い返し,どうやったら相手に意図や思いが伝わるかを考えて,この半年過ごしてきました.そして最近では,どんなに拙い英語でも,伝えようとする熱意とsmileがあれば,同じ目的意識をもった人達の中では,コミュニケーションがとれることを少しずつ実感できるようになってきました(街中ではそんなに甘くないことも多いため,もちろん語学力はあるに越したことはありませんが).コロナ禍の現在も,ラボでは,マスク着用と消毒を徹底した上で,通常の活動が進められています.一方で,毎週のラボミーティングと,隔週の教授との1:1ミーティングは,オンライン形式に変更されています.今は,フロリダ州外は元より,Mayo ClinicのあるJacksonvilleの外に出ることも厳しい状況です.それでも,ここに来なければ出会えなかった人達と日々接し,交流を深められていること自体が,この留学の大きな財産だと感じています.こちらで学んだことを一つでも新潟に持ち帰って,発展させることを留学の目標としていますが,加えて,どうしたら新潟から世界を相手にした仕事ができるのか,発信できるのか,といったこともよく考えながら,限られた留学期間を大事に過ごしていきたいと思います.
Petrucelli教授,ラボメンバーと
2021年1月記載
今野卓哉
Mayo Clinic Floridaでの留学体験
私は平成27年3月より,アメリカのフロリダ州ジャクソンビルにあるMayo Clinic,Department of NeurologyのZbigniew K. Wszolek教授のもとに留学しています.今回,留学体験記を書く機会をいただきました.主にこれから留学するであろう医局の後輩や,当医局に関心を抱いている全国の医学生さんたちに向けて書いてみたいと思います. Mayo Clinicは全米有数の総合病院です.ミネソタ州ロチェスターにある本部のMayo Clinicは,U.S. Newsが発表する全米病院ランキングで第一位(2016¬-2017)にランクされました.私が留学しているジャクソンビルは,Neuroscienceの研究が盛んで,日本からの留学生も多く在籍しています.臨床部門,神経病理部門,基礎研究部門が緊密に連携しており,新潟大学脳研究所と似た構造です.私が師事しているWszolek教授は,パーキンソン病をはじめとしたMovement disordersを専門としており,特に遺伝子が関わる家族性の疾患を研究対象としています.SNCA変異やLRRK2変異を有する家族性パーキンソン病や,MAPT変異を有するパーキンソニズムを伴う前頭側頭型認知症(FTDP-17)の家系について,遺伝子が発見される以前より丹念に臨床情報とサンプルを収集され,歴史的な遺伝子発見に貢献してきた実績があります.私は大学院でhereditary diffuse leukoencephalopathy with spheroids (HDLS) の研究をしていましたが,この原因遺伝子であるCSF1Rを発見したのもWszolek教授の研究グループでした.この仕事が契機となりWszolek教授と接点を持つことができ,現在に至っています. 私が新潟を出発した日は,小雪が舞い散る寒い日でしたが,ジャクソンビル空港に降り立つとそこは別世界.強い日差しと高い湿度,ヤシの木が生い茂り,3月というのにすでに夏の様相でした.到着時は家族全員,長い袖丈の上下にマスク姿という冬の新潟では当たり前のいでたちでしたが,ここフロリダでは奇異なアジア人に見えたことでしょう.一瞬にして自分たちが外国人であると認識しました.フロリダ最大都市であるジャクソンビルは人口80万人超と新潟市と同程度で,街自体はほどよく田舎です.高層ビルはダウンタウンに少しあるのみで,高い建築物はほとんどありません.Mayo Clinicのすぐ近くに広がるビーチに初めて行ったときには,その広さに息をのみました.3月から12月くらいまで夏の軽装で過ごせます.新潟の冬を知る者としては,青空のもとリラックスした雰囲気で仕事に臨めるこちらの環境は,格別としか言いようがありません. Wszolek教授は臨床の教授ですので,ご自身のラボは持っていません.そのため,私の留学生活は一般的な基礎研究留学とは異なり,臨床側での仕事が主体となっています.患者さんと会うために正装を義務付けられており,人生で初めて,毎日スーツで出勤しています.Wszolek教授と一緒に患者さんの診察をしたり,研究にご協力いただく患者さんのUPDRSを取ったりと,直接患者さんと触れ合う機会が多くあります.Wszolek教授が20年以上前に報告されたFTDP-17の家系の方が,Wszolek教授を慕って遠方からいまだに外来に通っておられることには驚きました.南米やヨーロッパからも患者さんが訪れます.遠方在住の患者さんを診察するためのfield tripに同伴させていただく貴重な機会もありました.また,Dennis W. Dickson教授が率いる神経病理学部門とはシームレスな関係性があり,時間の許す限りでCPCやbrain cuttingに参加しています. Wszolek教授はとても気さくで,驚くほど面倒をよく見てくださいます.毎朝,私の部屋に顔を出されては,コーヒーを飲みに誘ってくださり,クリニックのお庭を一緒に散歩することから一日が始まります.こちらに来て実感したことは,臨床医は臨床の仕事,病理医は病理の仕事,基礎研究者は基礎研究に専念できる,ということです.言葉にすると当たり前のことですが,日本での仕事環境と比較すると,効率の良さが際立っています.また,各部門が協力して仕事を進めるスタイルがよく機能していて,互いが自分のできることを惜しみなく提供し合い,結果として大きな成果につながっています.国内外の病院や研究機関とのコラボレーションも多く行われており,想像以上に開かれていると感じます.Wszolek教授はこれらの仕事をマネージメントする立場にあり,毎朝コーヒーを飲みながら,教科書には書いていない様々なことを教えてくださいます. 留学生活の一つの醍醐味は,これまで以上に多くの時間を家族と共に過ごせることです.幸いWszolek教授は積極的に学会に参加させてくれますので,家族を連れて学会の地を訪れることが楽しみの一つになっています.アメリカの地で日米の違いを認識し,双方の長所短所が見えてくるのも留学の面白さです.留学をするとアメリカ生活のよさが板について離れがたくなる場合もありますが,私は日本で,新潟の地で,神経内科医として社会貢献したいと変わらず思っています.留学先で感じ,学び得たことを,新潟でどのように活かすかが,帰国後の課題です. 留学は特別な時間です.当然,苦労も数多くありますが,日本では得られないことがたくさんあります.ぜひ医局の若い先生方は留学を一つの目標として頑張ってください.学会等でアメリカを訪れる機会がありましたら,ぜひジャクソンビルにもお立ち寄りください.その際は,くれぐれも軽装かつマスクなしでお願いします.
Wszolek教授
Neurologyの若きレジデントたち
Field trip
ジャクソンビルビーチ
住んでいるコミュニティ
2016年4月記載