沿革
年月 | 新潟大学脳研究所神経内科の歩み | 当教室と関連のあった出来事 |
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令和6(2024)年5月 | 他田真理氏が新潟大学脳研究所生命科学リソース研究センター脳疾患標本資源解析学分野 教授に就任. | |
令和5(2023)年11月 | 池内健氏が新潟日報文化賞を受賞. | |
令和5(2023)年4月 | 小出玲爾氏が自治医科大学 脳神経内科 教授に就任. | |
令和5(2023)年4月 | 寺島健史氏が新潟大学地域医療教育センター・ |
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令和3(2021)年10月 | 小野寺教授が新潟日報文化賞を受賞. | |
令和2(2020)年4月 | 西澤正豊氏が学校法人新潟総合学園 新潟医療福祉大学 学長に就任. | |
令和2(2020)年2月 | 小野寺教授が脳研所長に就任. | |
平成30(2018)年7月 | 吉野英氏が井上春成賞を受賞. | |
平成29(2017)年8月 | 下畑享良氏(新潟大学脳研究所神経内科 准教授)が岐阜大学神経内科・老年学分野 教授に就任. | |
平成28(2016)年 | 磯田昌岐氏が自然科学研究機構生理学研究所認知行動発達機構研究部門 教授に就任. | |
平成28(2016)年4月 | 小野寺理氏(新潟大学脳研究所分子神経疾患資源解析学分野教授)が五代目教授に就任. | |
平成28(2016)年3月 | 西澤教授は退官なされ,新潟医療センター 脳神経センター長に転出. |
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平成27(2015)年11月 | 創立50周年式典を挙行. | |
平成27(2015)年5月 | 西澤教授を大会長として新潟で第56回日本神経学会学術大会が開催. | |
平成27(2015)年4月 | 柳澤勝彦氏が国立研究開発法人国立長寿医療研究センター 研究所長に就任. | |
平成27(2015)年1月 | 小澤鉄太郎氏が新潟大学地域医療教育センター・魚沼基幹病院神経内科 特任教授に就任. | |
平成26(2014)年11月 | 寺島健史氏が新潟大学地域医療教育センター・魚沼基幹病院診療情報管理室 特任教授に就任. | |
平成26(2014)年11月 | 佐藤俊哉氏が北里大学医学部実験動物学教室単位 教授に就任. | |
平成26(2014)年2月 | 西澤教授が脳研所長に就任. | |
平成26(2014)年 | 「難病の患者に対する医療等に関する法律」が成立. | |
平成25(2013)年4月 | 米田誠氏が福井県立大学看護福祉学部看護学科看護福祉学研究科 教授に就任. | |
平成25(2013)年4月 | 池内健氏が新潟大学脳研究所生命科学リソース研究センター遺伝子機能解析学 教授に就任. | |
平成23 (2011) 年10月 | 小野寺理氏が新潟大学脳研究所生命科学リソース研究センター分子神経疾患資源解析学分野 教授に就任. | |
平成23 (2011) 年4月 | 保住功氏が岐阜薬科大学医療薬剤学講座薬物治療学研究室 教授に就任. | |
平成23 (2011) 年 | 辻省次氏が紫綬褒章を受賞. | |
平成21 (2009)年4月 | 原,志賀らによりCerebral autosomal recessive arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy (CARASIL)の原因遺伝子を同定. | |
平成20 (2008)年5月 | 小野寺理氏が日本神経学会学会賞を受賞. | |
平成20 (2008)年4月 | 田中惠子氏が金沢医科大学神経内科 特任教授に就任. | |
平成19 (2007)年10月 | 脳研究所創立50周年記念祝賀会を挙行. | |
平成19 (2007)年5月 | 堀川楊氏が日本神経学会学会賞を受賞. | |
平成18 (2006)年5月 | 結城伸泰氏が日本神経学会学会賞を受賞. | |
平成17 (2005) 年4月 | 金子清俊氏が東京医科大学医学部生理学第二講座 教授に就任. | |
平成15(2003)年3月 | 西澤正豊氏(国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授)が四代目教授に就任. | |
平成14(2002)年4月 | 熊本俊秀氏が大分大学総合内科学第3講座 教授に就任. | |
平成14(2002)年4月 | 辻教授は退官なされ,東京大学大学院医学系研究科 教授へ転出. |
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平成13 (2001) 年 10月 | 伊達らによりアプラタキシン欠損症(EAOH)の原因遺伝子を同定. | |
平成13 (2001) 年 4月 | 馬場広子氏が東京薬科大学医療薬学科機能形態学教室 教授に就任. | |
平成13 (2001) 年 2月 | 辻教授が脳研所長に就任. | |
平成12 (2000) 年 | 介護保険法が施行. | |
平成11 (1999) 年1月 | 犬塚貴氏が岐阜大学医学部神経内科・老年学分野 教授に就任. | |
平成9 (1997) 年 | 辻省次教授が第30回日本人類遺伝学会賞受賞. | |
平成9 (1997) 年 | 辻教授が(財)ブレインサイエンス振興財団 第11回塚原仲晃記念賞を受賞. | |
平成8 (1996) 年 11月 | 辻省次教授が第49回新潟日報文化賞を受賞. | |
平成8 (1996) 年 11月 | 三瓶,五十嵐らにより脊髄小脳失調症2型(SCA2)の原因遺伝子を同定. | |
平成6 (1994) 年1月 | 小出,池内らによりDRPLAの原因遺伝子を同定. | |
平成3(1991)年11月 | 堀川楊先生が第44回新潟日報文化賞受賞. | |
平成3(1991)年11月 | 辻省次氏(新潟大学脳研究所神経内科助手)が三代目教授に就任. | |
平成3(1991)年7月 | La Spadaらが球脊髄性筋萎縮症でのアンドロゲン受容体CAG繰り返し配列の増大を報告した. | |
平成3(1991)年6月 | 宮武教授は退官なされ,東京医科歯科大学医学部神経内科教授へ転出. | |
平成2(1990)年12月 | 結城らが抗GM1抗体に関連したGuillan-Barre症候群について報告. | |
昭和59 (1984)年10月 | 近藤喜代太郎氏が北海道大学医学部公衆衛生学教室 教授に就任. | |
昭和58 (1983)年11月 | 椿忠雄氏が紫綬褒章を受賞される. | |
昭和57(1982)年8月 | 内藤,小柳らにより家族性歯状核赤核・淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)が報告. | |
昭和56(1981)年4月 | 宮武正氏(自治医科大学神経内科助教授)が二代目教授に就任. |
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昭和55(1980)年10月 |
椿教授が退官なされ,東京都立神経病院院長へ転出. |
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昭和47 (1972) 年 | 難病対策要綱がまとめられる. | |
昭和45 (1970) 年9月 | キノホルムは販売中止. | |
昭和45 (1970) 年 | 椿教授が整腸剤キノホルムがSMONの原因であることを提唱. | |
昭和44 (1967)年3月 | 椿教授が脳研所長に就任(事務取扱い).以後,複数回脳研所長に就任. | |
昭和43(1968)年4月 | 椿教授を大会長として新潟で第9回日本神経学会総会が開催. | |
昭和40(1965)年5月 | 診療開始. |
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昭和40(1965)年4月 | 診療科が認可. | |
昭和40(1965)年4月 | 東京大学病院で神経内科設置. | |
昭和40(1965)年3月 | 椿忠雄氏が初代教授に就任. | |
昭和40(1965)年1月 | 椿忠雄氏(東京大学医学部脳研究施設助教授)により新潟水俣病が明らかとなる. | |
昭和39(1964)年4月 | 新潟大学医学部脳外科研究施設内に神経内科部門が設置. | |
昭和38 (1963)年9月 | 黒岩義五郎氏が九州大学神経内科 教授に就任. | |
昭和32(1957)年 | 新潟大学医学部附属脳外科研究施設の設置が認可. | |
昭和30 (1955) 年 | Subacute myeloopticoneuropathy (SMON) が社会問題となる. |